秘在寺新本堂内外
平成25年4月20日 秘在寺新本堂が完成しました。

秘在寺住職のごあいさつ        開頁 2004年4月

静岡の母なる川・安倍川は全長52キロ、一気に駿河湾に注ぐ急流河川で、
日本一水のきれいな川です。その中流に郷島・冷泉山 秘在寺があります。
境内には樹齢推定1000年の榧(かや)の大木がそびえ、
静かに私たちを見守ってくれています。
また、お茶・山葵の産地です。裏山からは冷泉がこんこんと湧き出しており、その水を使って昔は和紙の産地でした。

この秘在寺は古より今日まで寺子屋を開き、地域の文化交流の中心的役割を担ってきました。お寺は亡き方の冥福を祈る場であると同時に、
今を大事に生きる人々の集いの場でもあります。どうぞ気軽にお越しください。

最新情報&更新情報

イベント
2/24
菜流寺HP
 12/24
行事
 4/8
講演
 3/28
和紙
 5/9
邦楽
5/7
秘在寺だより
29/春彼岸号

 郷島村前堤防
   永年の宿願叶う  郷島村前堤防、全長1キロ数百㍍がこの春完成しました。国・県・市・町、多くの方々の永年に渡るご尽力のお陰と、心より感謝お礼申しあげます。
    郷島の水田と水害の記録 『賤機村誌』大正元年の記録より
明和6年(1769)秋、安倍川通り水害、堤防破損し中新田を流出する。
天明7年(1787)6月20日、安倍川及び谷川洪水、堤防乗り越え田畑全部流失。
文化13年(1816)8月4日、安倍川通り流出被害。
文政11年(1828)6月、安倍川通り、谷川通り全部流失する。
天保7・8年(1836~37)、安倍川通り築堤竣工、田畑の開墾成功する。
弘化2年(1845)8月、安倍川通り流失する。
安政4年(1857)安倍川通り流失する。
明治2年(1869)安倍川通り田畑全部流失する。
明治4年(1871)安倍川通り堤防26間半流失する。
明治9年(1876)安倍川通り田地流失する。
明治23年(1890)安倍川通り谷川通り田地流失被害。
明治26年(1893)安倍川通り田地全部流失被害。
明治37年(1904)7月、安倍川通り田地全部流失被害。安倍街道213間と浅間橋流失、龍西橋120間落橋、建物5棟流失、婦人1名死亡。
 明治以降も複数回被害に遭いました。
上記のように、郷島の堤防は過去何回も決壊し、その都度田畑は流され石と砂利の川原となり、町民は開墾を繰り返しながら水田を守り続けて来ました。
 写真の前方が川上で突き当たりの山の左方面が安倍川の支流の中河内川、右方面が安倍川です。安倍川の河口は駿河湾で、水源は赤石山脈(南アルプス)。全長52キロメートルの一級河川です。

 
ここ郷島は河口から20キロ、冬場はほとんど水がありませんが、夏場の台風の時などは100メートルの川幅全面に濁流が流れてきます。前方の俵沢で安倍川と中河内川がぶつかり合って合流し、勢いを増した濁流が郷島に流れ下ってきます。俵沢より上流の左右どちら方面に雨が多く降ったかによって川の流れが変わり、ぶつかる場所の違いによって被害が生じたのではないかと思われます。秘在寺寺子屋又漘舎(ゆうしんしゃ)の名前の由来(川が合流したみぎわ)もここから来ているのではないかと推測します。


 坐禅体験希望者は下記メールアドレスから申し込んで下さい。
info@hizaiji.net


秘在寺の境内に咲く代表的な花々 
 三椏
      三椏(春彼岸頃咲きます)
みつまた

 三椏(みつまた) 和紙の原料
(日本のお札はこの木の皮から作ります)
 トロロ葵
    トロロ葵 
和紙を漉く際、この根から出る粘液を使います
 トロロ葵A
    トロロ葵(夏の花です)
 酔芙蓉
   酔芙蓉
朝の開花時は白く、昼頃から紅がさしてきます
芙蓉 
     芙蓉(夏から秋に咲きます)
 石蕗
    石蕗(つわぶき)
 つわぶき
   (晩秋、秋冥菊の後に咲きます)